【雑記】立ち会い出産してみて、夫婦でこんなにも認識が違ったか!という気づき。

先日、久しぶりに腰痛で苦しみました。

それを見ていた夫から「陣痛の時も腰が痛いって言ってたよね」と言われ、ふと立ち会い出産の話になりました。

 

妊娠当初、夫は絶対立ち会い出産はしないと言っていたにも関わらず、妊娠期間に気持ちが変わったようで、最終的にはビデオカメラまで購入して意気揚々と立ち会ってくれました。

 

妻としては

こどもの父親が出産の瞬間を目にするのは「父親になった」という気持ちを持てて良いのではないか。

陣痛で苦しむ時に夫がいてくれるだけで心強い。(何もできなくてもいてくれれば良いのです。)

と思っていましたし、実際に立ち会い出産を経てこの通りだったなと思っていました。

当然、夫も立ち会い出産をしてよかったと思っていると信じていたし、もし二人目ができた時も立ち会い出産をしてくれると思っていました。

 

しかし、夫の思いは全然違いました。

よくSNSなどでみる「陣痛中の妻にひどいことを言われた」とかはなかったようです。

むしろ「触らないでいい!大丈夫!」とわたしに言われたらしく(←陣痛中に何言ったかなんて記憶にない)、痛みの中でも最大限に気をつかってくれていると思ったのだそう。

それよりも、陣痛中に痛くて叫ぶ姿や合間に気を失うように寝落ちする姿、助産師さんにお腹を押される様子など、わたしの様子が普段と全く違って苦しんでいる姿がトラウマなのだそう。

もう二度とあんな姿は見たくない。だから二人目をつくることにも積極的になれない。

立ち会い出産しなければ見ないから大丈夫とか、そういうことじゃない。

そう言われました。

 

良いことだらけだと勝手に思っていた立ち会い出産。まさかの夫にとってはトラウマでした。

二人目が欲しいわたしにとっては「産むのも苦しむのもわたしなんだし、いいじゃん!」という気持ちですが、子作りは夫婦のこと、家族のこと。

話し合わなきゃな…と思った出来事でした。

出産時のトラブル 恥骨結合離開を知っていますか?

妊娠、出産には色々なトラブルがあります。

妊娠初期にひどいつわりで苦しんだ方、切迫流産や切迫早産になって安静を指示された方…。

全く何もなかったよ、という方が珍しいのではないでしょうか?

 

わたしは吐きつわりとよだれつわりに苦しみ、落ち着いたと思ったら切迫になり、5ヶ月頃からは後鼻漏に悩み…。

産めば全部解放される!と思っていたのに、産後は恥骨結合離開で苦しむことになりました。

なってから初めて知った「恥骨結合離開」。

産後慌ててネットで検索しまくりました。

わたしの経験談とあわせて綴ります。

 

 

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恥骨結合離開とは

妊娠3ヶ月頃から産後数日頃まで「リラキシン」というホルモンが分泌されます。

このリラキシンの作用により骨盤まわりの靭帯や関節を柔軟にすることで産道が広がり、妊娠の維持と出産の補助の役割を果たしているホルモンです。

へそに指を当て、お腹に沿っておろしていくと骨に当たります。ここが恥骨ですが、左右にある恥骨は真ん中に靭帯があり、ここを「恥骨結合」と呼びます。

通常は2〜3mmですが、妊娠中にもやや広がり、出産時に大きく離開するため分娩直後は7mm程度になります。

これが12mm以上になると病的離開となり、急激な離開により靭帯が損傷して強い痛みを伴います。これが「恥骨結合離開」。

ちなみに20mm以上に離開する場合は「恥骨結合破裂」と呼ばれます。

 

症状は何よりまず「激痛」です。動くことで激痛が走ります。

そのため、立ち上がる、起き上がるといった動作ができなくなります。寝返りもうてません。

痛みが治まってきても骨盤が不安定であるため脚をあげることができず、歩行することができません。ただ、すり足で後ろ向きに進むことはできます。

 

原因

ホルモンで恥骨結合がゆるむこと+αがあっておこることが多いです。

もともと姿勢が悪かったり、運動不足で筋力が低下していたりすると、妊娠中から恥骨結合に痛みを感じることがあります。

また赤ちゃんが大きかったり、骨盤が狭かったりしても、出産時に急激に負荷がかかることになります。

 

治療方法

基本的には保存的治療をします。つまり、手術が必要になることはほぼないということです。

過去の論文などを見ていると40mmに開いていたり、経過をみていても改善がない場合は手術をすることもあるようですが、症例報告されるくらいですので稀なことです。

ほとんどは1ヶ月もすれば歩行できるようになります。

 

まずは鎮痛剤をのんで安静にします。

無理に歩いたりせず、骨盤ベルトがある場合は使用して安静にします。

よく整体などホームページで「骨盤を整えます」とあります。これが必要かと言われると、医師としては「するなら自己責任で」。

一つ言えることは

ほぼ全例で恥骨結合は1ヶ月程度で元の距離に戻り2、3ヶ月で安定します。

それ以降も症状が続く場合は次の手として検討しても良いと考えます。

 

わたしの場合

出産トラブル

切迫早産で安静を指示されていたため、妊娠中の運動量は激減していました。

さらに出産前に産院で助産師さんから恥骨結合部分を押された時に痛みがありました。

今思えばこの時点で不安満載ですが、当時のわたしは全く気にせずに普段通りの生活を送っていました。

出産予定日の夜に陣痛が始まり初産婦の平均的な時間で出産したのですが、3つのトラブルがありました。

一つ目が回旋異常。赤ちゃんは骨盤を通りぬける時に横に回りながら降りてくるのですが、我が子は逆向きに回ってしまったのです。一旦戻ってくれたものの十分に回りきらず、半ば無理やりのようにイキんで、助産師さんにお腹を押してもらっての出産でした。

二つ目が予想以上に赤ちゃんが大きかったこと。推定体重3200gだったのですが、出てきてびっくりの3700gオーバー。エコーをした先生も助産師さんもびっくりしていました。

三つ目が子宮が収縮せずに出血が多かったこと。産後しばらくは安静を言い渡され、2時間ほどは寝たままになっていました。

 

起き上がれない

産後安静解除になり、さあ起き上がろうとした時でした。

あれ?力が入らない。お股が痛い!

すぐにナースコールを押して「動けないんです」と助産師さんに訴えました。

その助産師さんは「え?」という顔をした後、すぐに「包帯持ってきて!師長よんで!」と同僚に指示を出し、骨盤あたりを触った後に師長さんと二人で骨盤をぐるぐる包帯で締めてくれました。

「今ベルトがないから包帯でごめん」と言いながら、「骨盤が緩んでいるんだと思う。」と説明してくれました。

幸いにも電動ベッドだったため頭は起こすことができ、我が子もだっこできましたが、ベッドから降りることも寝返りを打つこともできませんでした。

先生に「恥骨結合離開でしょう」と説明を受け、もともと処方されていたボルタレンを飲みながらの安静生活になりました。

 

一緒に退院したい

初日は尿道カテーテルを入れてもらい、ベッド上で生活をしました。

2日目は痛みはかわりませんでしたが、コツを掴んだのか、起き上がるのが上手になっていました。なんとか立ち上がることもできます。

助産師さんたちは母子同室にしなくてもいい、哺乳瓶やミルクは全部準備するから大丈夫、寝返りのお手伝いもする、と言ってくれたのですが、我が子と一緒にいたかったわたしは頑張って少しずつ動くことを決めました。

夫が前もって出産予定日付近に休みを取ると伝えていたため、産後一週間お休みを取れたことも幸いでした。

日中は夫の手を借りて、夜は助産師さんの手を借りて、なんとか母子同室も可能な状態でした。

長い距離は車椅子で移動していたのですが、3日目に気がつきました。

「わたし後ろ向きになら歩ける!」

それからは後ろ向きに休憩しながら歩いていましたが、ナースステーションにいた看護師さんから「誰かがムーンウォークしてる!ってびっくりした」と言われた時は夫と大笑いしました。

産院のこの雰囲気がわたしを落ち込ませなかった一番の要因だと思っています。本当にあの産院で産んでよかったと今でも夫と話しています。(←コロナをきっかけに、先生も高齢だったこともあってお産をとらなくなったそうです。二人目もここでって思っていたのに…。)

先生からは「入院期間を延長しても良い」といわれましたが、なんとか予定通りに我が子と一緒に退院したいという一心で歩く練習をしていました。

 

結局歩けないけどなんとかなるか

産後5日たちましたが、結局はムーンウォークが精一杯で、立ったままでは着替えることもできない状態でした。

痛みも続くし、動くと恥骨の真ん中がごりごりいってるし…。

本来なら入院継続で安静にした方が良かったのでしょう。が、県民性なのか、うちの家族の気質なのかわかりませんが、母もわたしも「大丈夫でしょ。なんとかなるよ。」と。

幸い、わたしは里帰り出産で、母が自分の経験からリクライニングベッドを準備してくれていました。

実家は平屋で段差がほとんどなく、親のサポートを受けられる安心感もあって予定通りに退院しました。

 

退院を前にトコちゃんベルトを購入しました。

恥骨の緩みが問題だったので、トコちゃんベルトⅠです。←ここ大事! 

 

結局3週間ほどはずっとムーンウォークでした。

それでも徐々に痛みはなくなり、足を前に出すこともできるようになり、3段の階段を後ろ向きで上り下りできるようになり。

1ヶ月経つ頃には前向きに歩行できるようになりました。

今では普通に歩いていますし、子供と一緒に走っています。

整体に行くことも考えましたが、少しずつ良くなっていたので、調べるだけ調べて結局行きませんでした。口コミよかったところが遠かったんですよね…。

 

 

さいごに

最初に動けなくなった時はとても不安でしたし、色々検索しました。

こどもの世話ができないのではと心配しました。

結果、恥骨結合離開の一番の薬は「時間」なのだと思います。

反省しているのは、もう少し安静にしたほうが治りは早かったのかな…ということ。

 

なにより周囲のサポートが必要になるこのトラブル。

今この症状がある方は周りに甘えてゆっくりしましょう。

【女医の働き方】キャリアか家庭かその両方か。働き方の色々。

ライフプランニング、したことありますか?

これから10年後、20年後、どんなライフイベントがあるのか。

自分と家族のこれからを想像しながら人生の計画をたて、いつどれだけのお金が必要になるのか見通しを立てていくことをライフブランニングと言います。

 

 

結婚や妊娠、出産をきっかけにライフプランを考える方も多いと思います。

まさにわたしがそうでした。

この働き方を続けていくことが正解なのかを考え、結局は転職をしています。

転職前には同僚の女医さんから相談を受け、その方も違う働き方を選択しました。

 

今日は女医の働き方について綴ります。

 

 

 

 

まずは何のために働くのかを考えよう

医師になった理由や専門を決めた理由は人それぞれ違います。

働く理由や目標も人によって違います。

自分は一体何のために働いているのか、一度立ち止まって考えることが働き方を選択する上で最も大事なことだと思います。

 

キャリアのため

女性の社会進出が進み、世間よりはだいぶ遅れているこの医者の世界でも、大学や総合病院で女医がトップにいることもちらほら見かけるようになりました。

この業界でトップに立ちたいと思う女性も以前より増えているのではないでしょうか。

正直そのような女医さんを見ると、カッコいいし羨ましいと思います。

そのためには専門医をとって、学位を取って、留学をして、論文を書いて、学会で発表して…といった診療以外の部分も人一倍力を注ぐ必要があります。

 

お金のため

正直働きたくない。でも働かないと収入がない。

医者の中にもそんな考えの方はもちろんいます。

決して悪いことだとは思いません。むしろそれが普通ではないかと思います。

生きていくにも好きなことをするにも、お金は絶対に必要なんですから。

 

社会とのつながりを持つため

育休を取っているときに「孤独」を感じた人は少なからずいると思います。

家族以外の大人と話をしたい。。。

まさにわたしがそうなのですが、仕事をしていると社会とのつながりを感じられるし、この職業ならではなのかもしれないですが社会貢献している気持ちになれるのです。

ずっと家庭に入るのは無理だ。少しでも仕事に出たい。

そんな思いを持つ人は多いと思います。

 

 

優先順位をつけよう

自分が何のために働くのかを考えていると、自然と色々なことの優先順位が見えてくると思います。

自分のキャリア、家族との時間、子育て、収入、趣味…。

一度書き出してみてください。頭の中がスッキリまとまってくると、どんな働き方が一番あっているのか見えてくるかもしれません。

 

 

どんな働き方があるのか

医者の働き方ってそんなにあるの?と思われるかもしれませんが、意外と色々あるんです。

働く日数だって選べちゃうんです。もちろん働く場所にもよりますが。

具体的に見ていきましょう。

 

①医局に入って働く

キャリアを重視する人にとっては最も良いところでしょう。

医局に入って働いていると医局人事で異動がありますが、大学院への進学もスムーズですし、論文作成や学会発表の機会にも恵まれます。

留学先も上司のツテで見つけられることもあります。

着実にキャリアを積んでいくことができると思います。

一方で、医局人事で異動しなければいけないこともありますし、大学病院にいると定時で退勤はほぼ無理でしょう。

良くも悪くも「昔からのやり方」を大事にする傾向にあるからです。

 

②診療の最前線で働く

キャリアを求めるわけではないけれどもバリバリ働きたい!

色々な手技ができるようになりたい!多くの患者さんを救いたい!

そんな人はわざわざ医局に入らなくても、大きな市中病院に就職した方が正解でしょう。

わたしもこういう働き方キライではない、というか好きです。

問題は、何歳までこの働き方を続けられるのか…ということでしょうか。

 

③パートタイムで働く

医局に入っていても、民間の病院でも可能です。

医者にだって9時〜15時勤務で働くという選択肢もあるのです。

医局人事の中でのパートタイムであれば、仕事を保証してもらえるので安心して働けるのではないでしょうか。

わたしの周りにはこの働き方を選択している女医さんが多くいました。

ただ「時間内に仕事が終わらない」「周囲に気をつかう」などの話はよくありました。

 

④フルタイムで働くが、当直・オンコールはなし

フルタイムで働くけれども時間外は一切できません!という働き方。

医局よりも民間の病院の方が許してくれることが多い気がします。

わたしが今この働き方をしていますが、そういう契約をして就職していますので、定時で帰ることに一切の気まずさはありません。

(むしろ周りに帰らなきゃと言われます)

ただ、子供がまだ保育園児だからできる働き方かな…とは思っています。

 

⑤非常勤勤務(アルバイト勤務)のみ

この病院には毎週月曜に外来をしに行きます。

あの病院には隔週土曜日に当直をしに行きます。

というような働き方です。

もちろん病棟は担当しないので、自分の時間はしっかりとれるし、とても自由な働き方ができます。

しかし仕事が必ずあるという保証はありません。

「来月いっぱいで…。」なんて言われることもありうるのです。

 

 

どの働き方も一長一短

色々な働き方を書きましたが、人生の場面によっても自分にあう働き方は違うと思います。

ずっと同じ場所にいても良いし、その時々で何回も転職しても良いと思うのです。

選択肢を知って、それを選んで良いことを知ることはとても大切で、自分の状況に合わせて選択を繰り返していくことが人生ではないでしょうか。

女性医師ならではの問題も沢山あります。

色々な選択肢を知り一歩を踏み出して行きましょう。

【あっさり成功】我が家の断乳記録!

小さな子供がいるお母さん、いつまで授乳を続けるか悩んだことはありませんか?

わたしはとても悩みました。

悩んだ結果、1歳11ヶ月で突然の断乳を試み、無事に成功しました。

 

卒乳、断乳って、タイミングは子供によっても親によっても全然違うものだと思います。

正解なんてないと思っています。

ので、今回は【我が家の】断乳の様子を綴ります。

 

 

寝るときは添い乳

世のお母様方、幼い子供をどうやって寝かせていますか?

うちは生後4ヶ月ほどまではベビーベッドに寝かせてなでなでするだけで寝ていたのですが、その後はなかなか寝てくれなくなりました。

育休期間中だったので、初めは抱っこしてゆらゆら、トントンしたり、気がすむまで遊ばせてみたりしていたのですが。

寝られないって苦痛なんですよね。

10ヶ月頃には添い乳で寝ることが当たり前になっていました。

 

それから約1年、毎日毎日添い乳で寝かせ続けたのです。

おっぱいあげれば寝るんですから、わたしはとてもラク

寝かしつけの時間は毎日10〜30分程度でした。

 

 

日中は飲まない

11ヶ月から保育園に行ったこともあり、日中は簡単に卒乳しました。

離乳食を食べてくれるし、コップで牛乳やお茶を飲んでくれるし、なにより母親が近くにいないので、当たり前のように日中のみ卒乳しました。

お昼寝は保育園では勝手に1人で寝ていたようですが、休日の家にいるときは「おっぱいください」と言いに来て、結局添い乳でお昼寝していました。

そう。そこにぱいがあるから飲む!それだけなのです。

 

 【失敗編】断乳トライした日

いつ断乳をするのかはとても悩みました。

夫と何度か相談し、実は何度かトライしてみたのです。

休みの前の日に夫に寝かしつけをしてもらい、わたしはリビングで待機!の計画でした。

添い乳歴1年以上で、添い乳で寝かせるようになって以降父親と寝ることのなかった娘は、横に寝ているのが父親というだけでギャン泣き。

1時間近く泣き続ける娘の声に、リビング→寝室の前に移動して待機していたわたしは耐えきれず、寝室に入って強制終了となりました。

これを3回くらいやったんです。

夫から「邪魔するならもう勝手にやって!」と怒られてしまいました。

 

 

断乳の日は突然に

娘が1歳11ヶ月になるちょっと前、土曜日の夕食後、突然夫に「断乳してみたら?」と言われました。

娘ももうすぐ2歳。月末には引越しをして、娘も保育園を変わる予定でした。

環境がガラッと変わってからの断乳は厳しい。

今しかない!

それが断乳のきっかけでした。

 

 

断乳1日目

添い寝だけして寝かしつけを始めると、すぐに異変に気付いた娘はギャン泣きでした。

「おっぱいください!」と大泣き。

この頃自分を「赤ちゃん違う。おねえちゃん!」と言っていた娘。

わたしは優しく話し続けました。

「もう赤ちゃんじゃなくなったからおっぱいはバイバイしようね。」

「うまれてからずっと飲んでたもんね。ありがとうしようね。」

20分程度お話していたでしょうか。

突然泣き止み、「おっぱいバイバイ、ありがとう。。」と言ったのです。

泣くのを我慢している顔をしていたので、

「さみしいね。泣いてもいいんだよ。」

というと、大きな声で2、3分泣き、それ以降はおっぱいと言わなくなりました。

ただ、寝つきは悪く2時間くらいコロコロして、疲れた頃にようやく寝てくれました。

 

 

断乳2日目

いつもの時間に「おやすみ」と寝室に入りました。

「おっぱいください」とぐずり始めましたが、

「おはなししようか!」というと大喜び!

テンション高くお話をし、ぬいぐるみをトントン寝かしつけ、その後わたしをトントン寝かしつけ。。

隣で寝たフリを続けると急にこてん、と寝てくれました。

寝かしつけ時間はなんと30分!

 

 

断乳3日目

「ねんねのじかん?」と言って、自ら寝室へ入りました。

おっぱいがないことに気づいて少しぐずりましたが、

「おかあさんとぎゅーしよう」というとベッドに上ってきてぎゅー。

その後はまた遊びモードに入りましたが、気がついたらわたしが先に寝てしまっていたみたい!

寝かしつけから1時間後、娘はぐっすり寝ていました。

 

 

勝因は?

4日目以降は全くぐずることなく寝ています。

思った以上にあっさり断乳が成功したことに夫婦で驚きました。

なぜこんなにうまくいったのか。わたしたちの考えは次の2つです。

 

①寝る時間を固定していた

毎日20時には寝室に入り1時間以内に寝る。

娘はいつも20時すぎには「ねんねー」というようになっていました。

生活リズムができていたのです。

授乳がないけど寝る時間。体は疲れている。

それが一つ目の勝因だったと思っています。

 

②言葉の理解

二つ目は言葉の発達です。

娘は運動能力は平均的ですが、言葉の発達だけ目立って早かったように思います。

1歳3ヶ月から二語文を話し、2歳になる前には

「○ちゃん、おかあさんとねんねしたいなー」と話すほど。

言葉がでるということは理解しているということで、こちらが話していることはほとんど理解しているように思います。

断乳の時もわたしがお話を始めると、泣きながらも一生懸命聞いて、頑張ってバイバイしてくれました。

言葉が理解できるようになってからの断乳でも良いのかもしれませんね。

 

 

結局は人それぞれ

我が家の断乳記録を綴りましたが、これはあくまで「我が家」のお話。

わたしの友人の子は1歳になる前に胃腸炎を契機に卒乳してしまったそうですし、夫の友人は胸に顔を描いて怖がらせて断乳したそうですし。

やり方も時期も人それぞれ。

でも、できればこどもも親も苦痛が少ない方が良いですよね。

「何歳までに授乳をやめなければいけない」なんて決まりはありません。

家庭環境と子供の成長と、タイミングは各家庭で違うと思います。

焦らずゆっくりタイミングを探ってみるのも良いと思います。

あなたの頭痛の原因は?病院受診を勧める頭痛はこれ!

ほとんどの人が経験したことがある「頭が痛い」という症状。

コロナ禍でこの「頭痛」を理由に受診する方が増えている気がします。

今日は頭痛にはどんな種類があるか、また病院受診をした方が良い頭痛はどんなものかをまとめます。

 

 

 

頭痛の分類

頭痛には大きく分けて2つあります。

  1. 一次性頭痛

  2. 二次性頭痛

これだけみても何のことやら?だと思います。

簡単に説明すると

 

一次性頭痛とは

「わたし頭痛持ちで…。」というタイプの頭痛。

脳や体病気があるわけではないのに繰り返しておこる頭痛のことです。

片頭痛、緊張型頭痛、群発頭痛という頭痛がこれに分類されます。 

 

片頭痛は名前の通り、頭の片方が「ズッキン、ズッキン」痛みます。人によっては閃輝暗点といってきらきらひかる歯車のようなものが見えた後に頭痛が出てくることがあります。

頭痛は発作的に始まって、吐き気があったり、音や光に敏感になったり、涙や鼻水が出ることもあります。

 

緊張型頭痛は肩こりを伴うことが多く、頭の両方に重苦しく締め付けられるような痛みがでます。頭痛の約8割はこれです。ストレスにより筋肉が緊張することが有力な原因です。

 

群発頭痛は男性に多く、いったん起こり始めると1〜2ヶ月の間、連日のように生じる頭痛です。片目や目の上、こめかみのあたりをえぐられるようなひどい痛みがあります。発作的に起こり、片方の目が充血したり、涙が出たり、鼻水が出たりします。片頭痛との違いは吐き気がないことです。

 

二次性頭痛とは

危険な病気が原因の頭痛です。

脳出血くも膜下出血などの頭の中で出血している場合や、髄膜炎脳炎などの感染症の場合、脳腫瘍がある場合など、様々な原因があります。

緑内障や側頭動脈炎といった、頭の中以外の部位が原因となることもあります。

 

 

どんな頭痛が二次性頭痛?

分類を見てわかるように、病院へ行かないといけない頭痛は二次性頭痛です。

自分の頭の中で何が起きてるかなんてわからないから、みんな頭痛があったら二次性を心配して病院に行かないといけないのか?

そんなことはありません。

二次性頭痛にはいくつか特徴があります。

わたしたち医者もお話を聞きながらこれらの特徴がないか確認して、頭の検査をするか、血液検査をするかなどを決めています。

具体的に見てみましょう。

 

 突然の頭痛

もともと頭痛もちでない人が突然「痛い!」と始まった頭痛は病院受診をお勧めします。

脳出血くも膜下出血が疑われるからです。

雲閣か出血の痛みは「突然バットで頭を殴られたような痛み」と表現されたりします。

頭をバットで殴られたことある人なんてそういないと思いますが、それだけ突然、強い痛みがくるということなんですね。

 

麻痺や意識障害を伴う

手足や顔が上手く動かせない、言葉が出てこないといった症状や、頭痛を訴えた後に意識がなくなったり会話ができなくなるような状態は危険です。

これも脳出血の可能性があります。

 

発熱を伴い普段より首が前に曲がらない

頭を下へ下げて、顎が胸に付くかためしてください。肩こり・首こりがひどい人はつかないと思いますが(←わたしのこと)。

熱があって頭がとても痛くて、首がいつもより曲がらないときは病院へ行ってください。髄膜炎の可能性があります。

特に治療が必要ない場合もありますが、細菌性髄膜炎などとにかく治療を急ぐものもあります。

病院では仰向けに寝た状態でこれができるか、先生が動かして診察します。

 

 

一次性頭痛は病院にいかなくて大丈夫?

もともと頭痛もちだから、いつもの頭痛なら病院に行かなくても大丈夫。というわけでもありません。

その頭痛、日常生活に支障をきたしていませんか?

月の半分くらい頭痛があって、鎮痛剤が手放せなくて、薬を飲んでも良くならなくて…そんな悪循環に陥ってませんか?

頭痛があって気持ちの良いものではありませんよね。

困っているときは病院へ行きましょう。病院だからできることもあるんです。

 

片頭痛の場合

片頭痛も頻度が少なくて、イブなどの市販の薬で落ち着くならそのままでも良いと思います。

頻度が多かったり、市販の薬を飲んでも改善がない場合は病院を受診してください。

片頭痛には魔法の薬があります!トリプタン製剤と言って、片頭痛専用とも言える薬です。

また、片頭痛は予防することもできます。困っていたら一度病院へ。

 

緊張型頭痛の場合

緊張型頭痛で病院受診を必要とすることはほとんどありません。

基本的にはストレスから解放されるようにすることと、個人的にオススメしているのはラジオ体操です。

良くできた体操で、首肩周りがほぐれることで頭痛が軽快すると患者さんからも好評です。

 

群発頭痛の場合

この頭痛の場合はみなさん病院へ行くことをオススメします。

発作が起きると日常生活を普通に過ごすなんて正直無理だと思うレベルでみなさん苦しみます。

頭痛発作があるときは高濃度の酸素を吸うことで落ち着きますし、病院に行けなくても自宅で自分でできる注射剤を処方することもできます。

なにより予防をすることが一番です!

病院で先生と相談しながら、発作が起きないようにして行くことが何より大事です。

 

毎日のように鎮痛剤を飲んでいる場合

薬を飲んで頭痛は治りますか?余計にひどくなったり、全く効かなかったりしていませんか?

それ鎮痛剤が原因の頭痛「薬物乱用頭痛」かもしれません。

治療法は薬をやめることですが、予防薬もありますので病院を受診してみてください。

 

 

まとめ

簡単にまとめてしまうと、困ることがあったら病院を受診してください。

神経内科、頭痛外来、ペインクリニックなどの病院ならより相談に乗ってくれると思います。

困っている方は是非一度受診してみてくださいね。

【経験談】弱視とは?わたしの場合と現在。

弱視」と言う言葉を耳にしたことはありますか?

知らない方でも、まだ小学生にもなっていないような小さい子がメガネをかけている姿を見かけたことがあるかと思います。

 

わたしは小学生からメガネをかけていました。理由は弱視

今日はこの「弱視」について。

わたしがどうやって治療したのか、現在どうなっているのかをお話しします。

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弱視とは

弱視とは「視力の発達が障害されて起きた低視力」を指し、メガネをかけても視力が十分でない場合を指します。*1

 

生まれたての赤ちゃんはほとんど目が見えていません。

成長するに従って徐々に視力を獲得していくのです。

3歳くらいに大人と同じ視力に達すると言われていますが、この視力を獲得する過程で何かしらの問題が起きると「弱視」になってしまうのです。

 

 

弱視の種類

弱視は片目だけに生じることもあれば、両目に生じることもあります。

原因には以下の様なものがあります。

  • 遠視・近視・乱視が強い
  • 遠視・近視・乱視が片目だけ強い
  • 斜視がある
  • 片目を遮るものがあった

1つ目の様に両目に強い異常があると両目ともに弱視になります。

残りの3つは片目だけ弱視になります。

片目を遮るもの、といってもピンと来ませんよね。

白内障や腫瘍などの病気で片目が見えない状態も入りますが、眼帯などの装着で片目を遮ることでも起きるんです。

子供が目を怪我しても、大人の様に簡単に眼帯をつけることはできないのです。

 

 

弱視はどうやって見つかるのか

3歳児健診や就学時健診で見つかる場合が多いです。

両目の弱視では近づいてものを見る、目を細めるなどすることから気づかれることもありますが、片目の弱視では周囲から気づかれないことも多くあります。

片目の弱視が強いと斜視が出て来て気づくこともあるようです。

 

 

弱視は治るのか

一番気になる部分だと思います。

目に根本的な問題(腫瘍とか)がある場合には難しいでしょう。

しかし、早期発見、早期治療をすることで多くの場合は視力を獲得することができます!

10歳頃を過ぎると治療に反応しにくくなります。

 

治療方法は

  • メガネをかけて矯正する
  • 良い方の目を塞ぐ
  • 目に刺激の入る様に赤ペンで文字を書く

といったものがあります。

まだ理解できない小さい子供にとっては不快なものだったりしますので、なかなか大人の思う様にはうまくいかないこともあります。

根気強く慣れさせる、しかないのですが。

 

 

経験談】わたしの場合 小学生のころ

わたしの弱視がみつかったのは就学時健診でした。

わたしは右目だけ弱視でしたので、両目で見ているときは問題なく見えていました。

見た目にもわからず、大学病院の廊下で母親から「あれ見える?」と遠くにある非常階段のマークを指差して言われたことをはっきり覚えています。

お母さん、何言ってるんだろう?と思っていました。

最初の視力は右0.2、左1.2。

右目に強い遠視があったのです。

 

眼科の先生からは「どこまで戻るかわからないけどやれることは全部やりましょう」と、

通っていた幼稚園の先生からは「気づいてあげられなくてごめんなさい」と、

そう言われたと後に母から聞きました。

 

すぐにメガネを作りました。薄い黄色の大きな、右目だけレンズの分厚いメガネを作りました。3万円くらいしたそうですw

左目は「アイパッチ」という絆創膏のようなもので朝から夕方まで遮蔽していました。

毎日赤鉛筆でノート1ページ分、国語の教科書を写していました。

学校では「メガネザル」と揶揄されましたが、気の強かった子供の頃のわたしは揶揄してきた男子を追いかけ回して殴っていましたw

 

3年生になった頃、片目の遮蔽は午前中だけになりました。

赤鉛筆で教科書を写す日々も終わりました。

 

4年生になった頃、片目を隠す生活は終わりました。

メガネは相変わらずでしたが、もう体の一部になっており、気になることはありませんでした。

この頃メガネを紛失しました。

メガネを外していても見え方が変わらず、かけているのか外しているのかわからなくなっていました。

 

右目の視力は1.2。左目は1.5。

弱視からは解放されました。

 

 

今のわたし

弱視が見つかってから早30年!

今は仕事中はメガネ、普段は裸眼で生活しています。

右目の遠視は相変わらず。最近は少し無理をしているせいか、少し視力は落ちています。

でもメガネで矯正できる状態です。

朝起きてすぐ時計も見えるし、近視でコンタクトをつけている友人からは羨ましいと言われるレベルに見えています。

 

小学生の頃の自分は大変だったかと聞かれると、それが普通だったのでなんとも思いませんでした。

毎日教科書を写していたので作文を書くのが上手になりましたし。

からかわれたのはもちろん嫌でした。あの頃のわたしは強かった。

 

 

子供の弱視が見つかったお父さん、お母さんへ

こどもが弱視になったのはあなたのせいではありません。

見つかってよかった。本当に良かった。見つかった今が治療開始のタイミングです!

こどものこれからを支えてあげてください。

おしゃれなメガネを一緒に見つけに行きましょう。せっかくだから楽しみましょう。

 

大人になってから知り合った方に、わたしが弱視だったことを知って、経験談を聞いてほっとしたと言われたことが何度かありました。

周りに弱視の人、そう多くはいないですもんね。

わたしの経験談がだれかの役にたてばと願っています。

 

*あくまでもわたしの場合です。みんながこのような経過をたどる訳ではありません。

*1:日本弱視斜視学会

【医者の転職】働きやすいところで働いた方が絶対に良い!

わたしは日本の南の田舎で内科系の医師をしています。

田舎ほど、という印象がありますが、医局に所属している医師が多いのではないでしょうか。

 

わたしも大学卒業後、2年間の初期研修を終えた後に大学の医局に入りました。

最初は大学病院で勤務し、その後は関連病院と言われる医局から医師を派遣している病院を点々としました。

短くて1年。長くて3年。

どこの病院でも残業や夜中の電話は当たり前。呼び出されることも沢山ありました。

 

今は医局を離れています。

正直、医局を離れてよかった!と思っています。

今日は医師の働き方と転職について綴ります。

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医局に入るのは悪いことではない!

医局を離れてよかったと書いておいて何言ってんだと思われるかもしれませんが、医局に所属するメリットは沢山あります。

 

1.専門性の高い診療を基礎から学べる

大学病院で勤務するということは、民間の病院で診断がつかなかったり治療に難渋した症例を担当することになります。

もちろん1人ではなく、上級医と一緒に、さらに経験豊富で知識の豊富な先生方と一緒に。

診察手技であったり検査の読み方や解釈の仕方であったり、悩んだ時には教えてもらえますし、とても勉強になります。

将来なんちゃって専門医にならないためには、できる先生をみて学ぶことも大切だと思っています。

また大学生や若手の医師を多く指導してきた先生も沢山いるため、本当に勉強をしようと思えば最適な環境ではないでしょうか。

 

2.研究に従事できる

基礎研究だけでなく臨床研究についても、大学にいると様々な研究が行われています。

自らで立ち上げなくてもまずは手伝うことから始め、そのうち自ら疑問に思ったことを研究できる。

時間的にも余裕があり、実験の内容や解析方法を相談しながら研究ができるのは大学の良いところです。

 

3.他の先生方との繋がりができる

同じ診療科を選択した同僚とはもちろん、同じ医局というだけでどこの病院に派遣されても味方になってくれる先生がいます。

すでに医局を離れていても「同門会」に入っている先生とは、同門としてよくしていただくことも多々ありました。

毎年面倒な会合はありましたが、同じ科の先生方と繋がれるのは良いことです。

だって、困った時に助けてくれる人が沢山いるということなのですから。

 

 

医局は良いことばかりでもない

それだけ良いことがあって、なんで医局をはなれたの?と思われるかもしれません。

それは嫌なことも沢山あったからです。

 

1.女性の働き方の選択肢が少ない

内科系ですので女医は多い方です。が、育休明けの女医の働き方は限られていました。

というより、幼い子を育てている女医を受け入れてくれる病院が少なかったのです。

大学病院ではパートタイム勤務になり、15時までの契約なのに17時頃に帰宅する先生もいました。

わたしは育休あけから当直・時間外勤務を免除してもらいましたが、給料が約半分になりました。

医局からの指示で勤務先が決まるのですが、子供をつれて家族で勤務先に引越しをするのも難しいと感じていました。(夫にも仕事がありますもの。)

 

2.業績が全て

これは医局が、という話ではないかもしれません。

わたしの場合は教授の業績主義についていけなかったことも医局を離れた理由の一つです。

患者さんと向き合おうとせず、病気をみている教授だったので。

自分の業績ももちろん大事だと思いますが、わたしには大学のやり方が合わなかったのだと思います。

 

3.よくわからない集まりに強制参加

勉強のため、研鑽のための集まりは良しとしましょう。

しかし、医局旅行だ、お花見だ、医局対抗サッカー大会だ、と、何かと集まりを強制されたのは苦痛でした。

しかも家族を連れてこいといわれるのはもっと苦痛でした。

 

 

【わたしの理想】転職での条件

育休があけて働き始めると同時に転職活動を開始しました。

条件は以下の通り。

  • フルタイム、時短など働き方を子供の成長に合わせて変更できる
  • 当直、時間外勤務はなし
  • オンコールなし
  • 主治医制ではない(夜間や休日に電話がない)
  • 専門医としての能力を活かせる
  • 院内保育がある
  • 産休、育休を取得することに理解がある
  • 給料は今と同じか今より多いか

なかなか無理を言っているな...と思っていましたが、即見つかりました。

4月の後半から転職活動を本格的に始め、すぐにこの条件と一致する病院が見つかり、夏までには翌年の4月採用が決定していました。

 

【病院探し】プロに任せた方が良い

どうやって条件にあう病院を探したのかというと、転職サイトに登録しました。

「医師 転職」と検索すると沢山出てくると思います。

わたしはひとまず3カ所に登録しました。

会社によって提案してくる病院が違う上に、ネットで検索しても出てこない病院もありました。

しかも探してくれるだけじゃなく、交渉もしてくれるし、面接にも同伴してくれます。

履歴書も作ってくれるので、何も準備せずに当日面接を受けるだけでした。

面接後にも「まだあの病院が新しく良い条件をつけてきている」とか、どんどん情報をくれました。

「あの病院は以前仲介して入職した先生が働きやすいと言っていた」「正直ここは評判がよくない」などもこっそり教えてくれます。

 

そういった会社に仲介を依頼すると高いのではないか、と思う方もいるかもしれません。

実は病院を探している医師側は一切お金を払う必要がないのです。

医師を探している病院側が年収に応じて(と聞きました)仲介手数料を払うからです。

だから仲介業者は年収が上がるように交渉してくれるのだそうです。

仲介業者を介さなければ給料が上がるのでは?とも思いますが、実際はそんなことは殆どないようですね。

 

 

【転職後】オンオフはっきり!理想の勤務スタイル

転職後どうだったか。もう良かったの一言です。

定時に帰るの当たり前。帰宅後に電話は一度もありません。

今はフルタイムで働いていますが、帰宅後や休日は子供と夫とのんびり過ごしています。

担当患者数も無理をするほどの人数にはならないし、地域密着で患者さんと向き合える、わたしの理想の働き方をしています。

額面で給料は2倍近くになりました。

医局人事で働いていた頃には思いもしなかった働き方です。

 

バリバリ働きたい人、ゆっくり働きたい人、それぞれの理想があると思います。

転職はそんなにハードルの高いものではありません。

悩んでいる方はぜひ、一歩を踏み出してみませんか。