【あっさり成功】我が家の断乳記録!

小さな子供がいるお母さん、いつまで授乳を続けるか悩んだことはありませんか?

わたしはとても悩みました。

悩んだ結果、1歳11ヶ月で突然の断乳を試み、無事に成功しました。

 

卒乳、断乳って、タイミングは子供によっても親によっても全然違うものだと思います。

正解なんてないと思っています。

ので、今回は【我が家の】断乳の様子を綴ります。

 

 

寝るときは添い乳

世のお母様方、幼い子供をどうやって寝かせていますか?

うちは生後4ヶ月ほどまではベビーベッドに寝かせてなでなでするだけで寝ていたのですが、その後はなかなか寝てくれなくなりました。

育休期間中だったので、初めは抱っこしてゆらゆら、トントンしたり、気がすむまで遊ばせてみたりしていたのですが。

寝られないって苦痛なんですよね。

10ヶ月頃には添い乳で寝ることが当たり前になっていました。

 

それから約1年、毎日毎日添い乳で寝かせ続けたのです。

おっぱいあげれば寝るんですから、わたしはとてもラク

寝かしつけの時間は毎日10〜30分程度でした。

 

 

日中は飲まない

11ヶ月から保育園に行ったこともあり、日中は簡単に卒乳しました。

離乳食を食べてくれるし、コップで牛乳やお茶を飲んでくれるし、なにより母親が近くにいないので、当たり前のように日中のみ卒乳しました。

お昼寝は保育園では勝手に1人で寝ていたようですが、休日の家にいるときは「おっぱいください」と言いに来て、結局添い乳でお昼寝していました。

そう。そこにぱいがあるから飲む!それだけなのです。

 

 【失敗編】断乳トライした日

いつ断乳をするのかはとても悩みました。

夫と何度か相談し、実は何度かトライしてみたのです。

休みの前の日に夫に寝かしつけをしてもらい、わたしはリビングで待機!の計画でした。

添い乳歴1年以上で、添い乳で寝かせるようになって以降父親と寝ることのなかった娘は、横に寝ているのが父親というだけでギャン泣き。

1時間近く泣き続ける娘の声に、リビング→寝室の前に移動して待機していたわたしは耐えきれず、寝室に入って強制終了となりました。

これを3回くらいやったんです。

夫から「邪魔するならもう勝手にやって!」と怒られてしまいました。

 

 

断乳の日は突然に

娘が1歳11ヶ月になるちょっと前、土曜日の夕食後、突然夫に「断乳してみたら?」と言われました。

娘ももうすぐ2歳。月末には引越しをして、娘も保育園を変わる予定でした。

環境がガラッと変わってからの断乳は厳しい。

今しかない!

それが断乳のきっかけでした。

 

 

断乳1日目

添い寝だけして寝かしつけを始めると、すぐに異変に気付いた娘はギャン泣きでした。

「おっぱいください!」と大泣き。

この頃自分を「赤ちゃん違う。おねえちゃん!」と言っていた娘。

わたしは優しく話し続けました。

「もう赤ちゃんじゃなくなったからおっぱいはバイバイしようね。」

「うまれてからずっと飲んでたもんね。ありがとうしようね。」

20分程度お話していたでしょうか。

突然泣き止み、「おっぱいバイバイ、ありがとう。。」と言ったのです。

泣くのを我慢している顔をしていたので、

「さみしいね。泣いてもいいんだよ。」

というと、大きな声で2、3分泣き、それ以降はおっぱいと言わなくなりました。

ただ、寝つきは悪く2時間くらいコロコロして、疲れた頃にようやく寝てくれました。

 

 

断乳2日目

いつもの時間に「おやすみ」と寝室に入りました。

「おっぱいください」とぐずり始めましたが、

「おはなししようか!」というと大喜び!

テンション高くお話をし、ぬいぐるみをトントン寝かしつけ、その後わたしをトントン寝かしつけ。。

隣で寝たフリを続けると急にこてん、と寝てくれました。

寝かしつけ時間はなんと30分!

 

 

断乳3日目

「ねんねのじかん?」と言って、自ら寝室へ入りました。

おっぱいがないことに気づいて少しぐずりましたが、

「おかあさんとぎゅーしよう」というとベッドに上ってきてぎゅー。

その後はまた遊びモードに入りましたが、気がついたらわたしが先に寝てしまっていたみたい!

寝かしつけから1時間後、娘はぐっすり寝ていました。

 

 

勝因は?

4日目以降は全くぐずることなく寝ています。

思った以上にあっさり断乳が成功したことに夫婦で驚きました。

なぜこんなにうまくいったのか。わたしたちの考えは次の2つです。

 

①寝る時間を固定していた

毎日20時には寝室に入り1時間以内に寝る。

娘はいつも20時すぎには「ねんねー」というようになっていました。

生活リズムができていたのです。

授乳がないけど寝る時間。体は疲れている。

それが一つ目の勝因だったと思っています。

 

②言葉の理解

二つ目は言葉の発達です。

娘は運動能力は平均的ですが、言葉の発達だけ目立って早かったように思います。

1歳3ヶ月から二語文を話し、2歳になる前には

「○ちゃん、おかあさんとねんねしたいなー」と話すほど。

言葉がでるということは理解しているということで、こちらが話していることはほとんど理解しているように思います。

断乳の時もわたしがお話を始めると、泣きながらも一生懸命聞いて、頑張ってバイバイしてくれました。

言葉が理解できるようになってからの断乳でも良いのかもしれませんね。

 

 

結局は人それぞれ

我が家の断乳記録を綴りましたが、これはあくまで「我が家」のお話。

わたしの友人の子は1歳になる前に胃腸炎を契機に卒乳してしまったそうですし、夫の友人は胸に顔を描いて怖がらせて断乳したそうですし。

やり方も時期も人それぞれ。

でも、できればこどもも親も苦痛が少ない方が良いですよね。

「何歳までに授乳をやめなければいけない」なんて決まりはありません。

家庭環境と子供の成長と、タイミングは各家庭で違うと思います。

焦らずゆっくりタイミングを探ってみるのも良いと思います。

あなたの頭痛の原因は?病院受診を勧める頭痛はこれ!

ほとんどの人が経験したことがある「頭が痛い」という症状。

コロナ禍でこの「頭痛」を理由に受診する方が増えている気がします。

今日は頭痛にはどんな種類があるか、また病院受診をした方が良い頭痛はどんなものかをまとめます。

 

 

 

頭痛の分類

頭痛には大きく分けて2つあります。

  1. 一次性頭痛

  2. 二次性頭痛

これだけみても何のことやら?だと思います。

簡単に説明すると

 

一次性頭痛とは

「わたし頭痛持ちで…。」というタイプの頭痛。

脳や体病気があるわけではないのに繰り返しておこる頭痛のことです。

片頭痛、緊張型頭痛、群発頭痛という頭痛がこれに分類されます。 

 

片頭痛は名前の通り、頭の片方が「ズッキン、ズッキン」痛みます。人によっては閃輝暗点といってきらきらひかる歯車のようなものが見えた後に頭痛が出てくることがあります。

頭痛は発作的に始まって、吐き気があったり、音や光に敏感になったり、涙や鼻水が出ることもあります。

 

緊張型頭痛は肩こりを伴うことが多く、頭の両方に重苦しく締め付けられるような痛みがでます。頭痛の約8割はこれです。ストレスにより筋肉が緊張することが有力な原因です。

 

群発頭痛は男性に多く、いったん起こり始めると1〜2ヶ月の間、連日のように生じる頭痛です。片目や目の上、こめかみのあたりをえぐられるようなひどい痛みがあります。発作的に起こり、片方の目が充血したり、涙が出たり、鼻水が出たりします。片頭痛との違いは吐き気がないことです。

 

二次性頭痛とは

危険な病気が原因の頭痛です。

脳出血くも膜下出血などの頭の中で出血している場合や、髄膜炎脳炎などの感染症の場合、脳腫瘍がある場合など、様々な原因があります。

緑内障や側頭動脈炎といった、頭の中以外の部位が原因となることもあります。

 

 

どんな頭痛が二次性頭痛?

分類を見てわかるように、病院へ行かないといけない頭痛は二次性頭痛です。

自分の頭の中で何が起きてるかなんてわからないから、みんな頭痛があったら二次性を心配して病院に行かないといけないのか?

そんなことはありません。

二次性頭痛にはいくつか特徴があります。

わたしたち医者もお話を聞きながらこれらの特徴がないか確認して、頭の検査をするか、血液検査をするかなどを決めています。

具体的に見てみましょう。

 

 突然の頭痛

もともと頭痛もちでない人が突然「痛い!」と始まった頭痛は病院受診をお勧めします。

脳出血くも膜下出血が疑われるからです。

雲閣か出血の痛みは「突然バットで頭を殴られたような痛み」と表現されたりします。

頭をバットで殴られたことある人なんてそういないと思いますが、それだけ突然、強い痛みがくるということなんですね。

 

麻痺や意識障害を伴う

手足や顔が上手く動かせない、言葉が出てこないといった症状や、頭痛を訴えた後に意識がなくなったり会話ができなくなるような状態は危険です。

これも脳出血の可能性があります。

 

発熱を伴い普段より首が前に曲がらない

頭を下へ下げて、顎が胸に付くかためしてください。肩こり・首こりがひどい人はつかないと思いますが(←わたしのこと)。

熱があって頭がとても痛くて、首がいつもより曲がらないときは病院へ行ってください。髄膜炎の可能性があります。

特に治療が必要ない場合もありますが、細菌性髄膜炎などとにかく治療を急ぐものもあります。

病院では仰向けに寝た状態でこれができるか、先生が動かして診察します。

 

 

一次性頭痛は病院にいかなくて大丈夫?

もともと頭痛もちだから、いつもの頭痛なら病院に行かなくても大丈夫。というわけでもありません。

その頭痛、日常生活に支障をきたしていませんか?

月の半分くらい頭痛があって、鎮痛剤が手放せなくて、薬を飲んでも良くならなくて…そんな悪循環に陥ってませんか?

頭痛があって気持ちの良いものではありませんよね。

困っているときは病院へ行きましょう。病院だからできることもあるんです。

 

片頭痛の場合

片頭痛も頻度が少なくて、イブなどの市販の薬で落ち着くならそのままでも良いと思います。

頻度が多かったり、市販の薬を飲んでも改善がない場合は病院を受診してください。

片頭痛には魔法の薬があります!トリプタン製剤と言って、片頭痛専用とも言える薬です。

また、片頭痛は予防することもできます。困っていたら一度病院へ。

 

緊張型頭痛の場合

緊張型頭痛で病院受診を必要とすることはほとんどありません。

基本的にはストレスから解放されるようにすることと、個人的にオススメしているのはラジオ体操です。

良くできた体操で、首肩周りがほぐれることで頭痛が軽快すると患者さんからも好評です。

 

群発頭痛の場合

この頭痛の場合はみなさん病院へ行くことをオススメします。

発作が起きると日常生活を普通に過ごすなんて正直無理だと思うレベルでみなさん苦しみます。

頭痛発作があるときは高濃度の酸素を吸うことで落ち着きますし、病院に行けなくても自宅で自分でできる注射剤を処方することもできます。

なにより予防をすることが一番です!

病院で先生と相談しながら、発作が起きないようにして行くことが何より大事です。

 

毎日のように鎮痛剤を飲んでいる場合

薬を飲んで頭痛は治りますか?余計にひどくなったり、全く効かなかったりしていませんか?

それ鎮痛剤が原因の頭痛「薬物乱用頭痛」かもしれません。

治療法は薬をやめることですが、予防薬もありますので病院を受診してみてください。

 

 

まとめ

簡単にまとめてしまうと、困ることがあったら病院を受診してください。

神経内科、頭痛外来、ペインクリニックなどの病院ならより相談に乗ってくれると思います。

困っている方は是非一度受診してみてくださいね。

【経験談】弱視とは?わたしの場合と現在。

弱視」と言う言葉を耳にしたことはありますか?

知らない方でも、まだ小学生にもなっていないような小さい子がメガネをかけている姿を見かけたことがあるかと思います。

 

わたしは小学生からメガネをかけていました。理由は弱視

今日はこの「弱視」について。

わたしがどうやって治療したのか、現在どうなっているのかをお話しします。

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弱視とは

弱視とは「視力の発達が障害されて起きた低視力」を指し、メガネをかけても視力が十分でない場合を指します。*1

 

生まれたての赤ちゃんはほとんど目が見えていません。

成長するに従って徐々に視力を獲得していくのです。

3歳くらいに大人と同じ視力に達すると言われていますが、この視力を獲得する過程で何かしらの問題が起きると「弱視」になってしまうのです。

 

 

弱視の種類

弱視は片目だけに生じることもあれば、両目に生じることもあります。

原因には以下の様なものがあります。

  • 遠視・近視・乱視が強い
  • 遠視・近視・乱視が片目だけ強い
  • 斜視がある
  • 片目を遮るものがあった

1つ目の様に両目に強い異常があると両目ともに弱視になります。

残りの3つは片目だけ弱視になります。

片目を遮るもの、といってもピンと来ませんよね。

白内障や腫瘍などの病気で片目が見えない状態も入りますが、眼帯などの装着で片目を遮ることでも起きるんです。

子供が目を怪我しても、大人の様に簡単に眼帯をつけることはできないのです。

 

 

弱視はどうやって見つかるのか

3歳児健診や就学時健診で見つかる場合が多いです。

両目の弱視では近づいてものを見る、目を細めるなどすることから気づかれることもありますが、片目の弱視では周囲から気づかれないことも多くあります。

片目の弱視が強いと斜視が出て来て気づくこともあるようです。

 

 

弱視は治るのか

一番気になる部分だと思います。

目に根本的な問題(腫瘍とか)がある場合には難しいでしょう。

しかし、早期発見、早期治療をすることで多くの場合は視力を獲得することができます!

10歳頃を過ぎると治療に反応しにくくなります。

 

治療方法は

  • メガネをかけて矯正する
  • 良い方の目を塞ぐ
  • 目に刺激の入る様に赤ペンで文字を書く

といったものがあります。

まだ理解できない小さい子供にとっては不快なものだったりしますので、なかなか大人の思う様にはうまくいかないこともあります。

根気強く慣れさせる、しかないのですが。

 

 

経験談】わたしの場合 小学生のころ

わたしの弱視がみつかったのは就学時健診でした。

わたしは右目だけ弱視でしたので、両目で見ているときは問題なく見えていました。

見た目にもわからず、大学病院の廊下で母親から「あれ見える?」と遠くにある非常階段のマークを指差して言われたことをはっきり覚えています。

お母さん、何言ってるんだろう?と思っていました。

最初の視力は右0.2、左1.2。

右目に強い遠視があったのです。

 

眼科の先生からは「どこまで戻るかわからないけどやれることは全部やりましょう」と、

通っていた幼稚園の先生からは「気づいてあげられなくてごめんなさい」と、

そう言われたと後に母から聞きました。

 

すぐにメガネを作りました。薄い黄色の大きな、右目だけレンズの分厚いメガネを作りました。3万円くらいしたそうですw

左目は「アイパッチ」という絆創膏のようなもので朝から夕方まで遮蔽していました。

毎日赤鉛筆でノート1ページ分、国語の教科書を写していました。

学校では「メガネザル」と揶揄されましたが、気の強かった子供の頃のわたしは揶揄してきた男子を追いかけ回して殴っていましたw

 

3年生になった頃、片目の遮蔽は午前中だけになりました。

赤鉛筆で教科書を写す日々も終わりました。

 

4年生になった頃、片目を隠す生活は終わりました。

メガネは相変わらずでしたが、もう体の一部になっており、気になることはありませんでした。

この頃メガネを紛失しました。

メガネを外していても見え方が変わらず、かけているのか外しているのかわからなくなっていました。

 

右目の視力は1.2。左目は1.5。

弱視からは解放されました。

 

 

今のわたし

弱視が見つかってから早30年!

今は仕事中はメガネ、普段は裸眼で生活しています。

右目の遠視は相変わらず。最近は少し無理をしているせいか、少し視力は落ちています。

でもメガネで矯正できる状態です。

朝起きてすぐ時計も見えるし、近視でコンタクトをつけている友人からは羨ましいと言われるレベルに見えています。

 

小学生の頃の自分は大変だったかと聞かれると、それが普通だったのでなんとも思いませんでした。

毎日教科書を写していたので作文を書くのが上手になりましたし。

からかわれたのはもちろん嫌でした。あの頃のわたしは強かった。

 

 

子供の弱視が見つかったお父さん、お母さんへ

こどもが弱視になったのはあなたのせいではありません。

見つかってよかった。本当に良かった。見つかった今が治療開始のタイミングです!

こどものこれからを支えてあげてください。

おしゃれなメガネを一緒に見つけに行きましょう。せっかくだから楽しみましょう。

 

大人になってから知り合った方に、わたしが弱視だったことを知って、経験談を聞いてほっとしたと言われたことが何度かありました。

周りに弱視の人、そう多くはいないですもんね。

わたしの経験談がだれかの役にたてばと願っています。

 

*あくまでもわたしの場合です。みんながこのような経過をたどる訳ではありません。

*1:日本弱視斜視学会

【医者の転職】働きやすいところで働いた方が絶対に良い!

わたしは日本の南の田舎で内科系の医師をしています。

田舎ほど、という印象がありますが、医局に所属している医師が多いのではないでしょうか。

 

わたしも大学卒業後、2年間の初期研修を終えた後に大学の医局に入りました。

最初は大学病院で勤務し、その後は関連病院と言われる医局から医師を派遣している病院を点々としました。

短くて1年。長くて3年。

どこの病院でも残業や夜中の電話は当たり前。呼び出されることも沢山ありました。

 

今は医局を離れています。

正直、医局を離れてよかった!と思っています。

今日は医師の働き方と転職について綴ります。

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医局に入るのは悪いことではない!

医局を離れてよかったと書いておいて何言ってんだと思われるかもしれませんが、医局に所属するメリットは沢山あります。

 

1.専門性の高い診療を基礎から学べる

大学病院で勤務するということは、民間の病院で診断がつかなかったり治療に難渋した症例を担当することになります。

もちろん1人ではなく、上級医と一緒に、さらに経験豊富で知識の豊富な先生方と一緒に。

診察手技であったり検査の読み方や解釈の仕方であったり、悩んだ時には教えてもらえますし、とても勉強になります。

将来なんちゃって専門医にならないためには、できる先生をみて学ぶことも大切だと思っています。

また大学生や若手の医師を多く指導してきた先生も沢山いるため、本当に勉強をしようと思えば最適な環境ではないでしょうか。

 

2.研究に従事できる

基礎研究だけでなく臨床研究についても、大学にいると様々な研究が行われています。

自らで立ち上げなくてもまずは手伝うことから始め、そのうち自ら疑問に思ったことを研究できる。

時間的にも余裕があり、実験の内容や解析方法を相談しながら研究ができるのは大学の良いところです。

 

3.他の先生方との繋がりができる

同じ診療科を選択した同僚とはもちろん、同じ医局というだけでどこの病院に派遣されても味方になってくれる先生がいます。

すでに医局を離れていても「同門会」に入っている先生とは、同門としてよくしていただくことも多々ありました。

毎年面倒な会合はありましたが、同じ科の先生方と繋がれるのは良いことです。

だって、困った時に助けてくれる人が沢山いるということなのですから。

 

 

医局は良いことばかりでもない

それだけ良いことがあって、なんで医局をはなれたの?と思われるかもしれません。

それは嫌なことも沢山あったからです。

 

1.女性の働き方の選択肢が少ない

内科系ですので女医は多い方です。が、育休明けの女医の働き方は限られていました。

というより、幼い子を育てている女医を受け入れてくれる病院が少なかったのです。

大学病院ではパートタイム勤務になり、15時までの契約なのに17時頃に帰宅する先生もいました。

わたしは育休あけから当直・時間外勤務を免除してもらいましたが、給料が約半分になりました。

医局からの指示で勤務先が決まるのですが、子供をつれて家族で勤務先に引越しをするのも難しいと感じていました。(夫にも仕事がありますもの。)

 

2.業績が全て

これは医局が、という話ではないかもしれません。

わたしの場合は教授の業績主義についていけなかったことも医局を離れた理由の一つです。

患者さんと向き合おうとせず、病気をみている教授だったので。

自分の業績ももちろん大事だと思いますが、わたしには大学のやり方が合わなかったのだと思います。

 

3.よくわからない集まりに強制参加

勉強のため、研鑽のための集まりは良しとしましょう。

しかし、医局旅行だ、お花見だ、医局対抗サッカー大会だ、と、何かと集まりを強制されたのは苦痛でした。

しかも家族を連れてこいといわれるのはもっと苦痛でした。

 

 

【わたしの理想】転職での条件

育休があけて働き始めると同時に転職活動を開始しました。

条件は以下の通り。

  • フルタイム、時短など働き方を子供の成長に合わせて変更できる
  • 当直、時間外勤務はなし
  • オンコールなし
  • 主治医制ではない(夜間や休日に電話がない)
  • 専門医としての能力を活かせる
  • 院内保育がある
  • 産休、育休を取得することに理解がある
  • 給料は今と同じか今より多いか

なかなか無理を言っているな...と思っていましたが、即見つかりました。

4月の後半から転職活動を本格的に始め、すぐにこの条件と一致する病院が見つかり、夏までには翌年の4月採用が決定していました。

 

【病院探し】プロに任せた方が良い

どうやって条件にあう病院を探したのかというと、転職サイトに登録しました。

「医師 転職」と検索すると沢山出てくると思います。

わたしはひとまず3カ所に登録しました。

会社によって提案してくる病院が違う上に、ネットで検索しても出てこない病院もありました。

しかも探してくれるだけじゃなく、交渉もしてくれるし、面接にも同伴してくれます。

履歴書も作ってくれるので、何も準備せずに当日面接を受けるだけでした。

面接後にも「まだあの病院が新しく良い条件をつけてきている」とか、どんどん情報をくれました。

「あの病院は以前仲介して入職した先生が働きやすいと言っていた」「正直ここは評判がよくない」などもこっそり教えてくれます。

 

そういった会社に仲介を依頼すると高いのではないか、と思う方もいるかもしれません。

実は病院を探している医師側は一切お金を払う必要がないのです。

医師を探している病院側が年収に応じて(と聞きました)仲介手数料を払うからです。

だから仲介業者は年収が上がるように交渉してくれるのだそうです。

仲介業者を介さなければ給料が上がるのでは?とも思いますが、実際はそんなことは殆どないようですね。

 

 

【転職後】オンオフはっきり!理想の勤務スタイル

転職後どうだったか。もう良かったの一言です。

定時に帰るの当たり前。帰宅後に電話は一度もありません。

今はフルタイムで働いていますが、帰宅後や休日は子供と夫とのんびり過ごしています。

担当患者数も無理をするほどの人数にはならないし、地域密着で患者さんと向き合える、わたしの理想の働き方をしています。

額面で給料は2倍近くになりました。

医局人事で働いていた頃には思いもしなかった働き方です。

 

バリバリ働きたい人、ゆっくり働きたい人、それぞれの理想があると思います。

転職はそんなにハードルの高いものではありません。

悩んでいる方はぜひ、一歩を踏み出してみませんか。

 

【母の教育方針】女こそ手に職をもて!

「先生のご両親もお医者さんですか?」

よく聞かれる質問ですが、「いいえ、違います。」

父は地方の公務員。母はパートタイムで働いていました。

2人とも最終学歴は高卒です。

 

子供の頃たくさん勉強したかと聞かれると「普通かなー」と思うし、

母親は教育熱心だったかと聞かれると「そうでもないかなー」と思うし。

でも、大人になって周囲をみて、自分が子供の頃の母親の教育方針には感心することが多々あります。

だって、

多分わたしのこどもの頃の勉強量は結構多い方だったし、

母親は教育熱心だったから。

それを子供に感じさせなかったのは、「勉強しなさい」という言葉を聞いた記憶がないからなのだと思います。

 

幼い頃に作られた習慣が全て!

そんなわたしの母親の教育方針、子育て術をまとめます。

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【教育方針】女こそ手に職を持て!

物心ついた頃からでしょうか。母からよく言われていたことが二つあります。

一つは「女は手に職を持った方が良い」

母は特に資格を持たず、パートタイムで働いていました。

病院の事務職などを経験しており、口癖のように「看護師さんに憧れる」と言っていました。

その理由は仕事の内容ではなく、

「こどもを産んでも復帰してバリバリ働いている。かっこいい。」

というものでした。

女性はどうしても結婚、妊娠、出産のタイミングで仕事を休まなければならなくなることが出てきます。

母の世代では特に、仕事を続けるというのが難しく、やめるしか選択肢がないことも多かったのでしょう。

女の人でも仕事をしたいなら資格を持ちなさい。産後も復帰できる確実な資格を!

それが母の教えでした。

 

 

【教育方針】与えられるのは経験と勉強の機会

母からよく言われていたことの二つ目は

「お母さんたちはあなたにたくさんのお金を残してあげることはできない。だから将来お金を稼げるように勉強する機会を今あげる。」

塾に行きたい、予備校に行きたい、テストを受けたい、問題集が欲しい。

勉強をするために必要なものは躊躇なく買ってくれました。

わたしの実家は決して裕福ではありません。

古い団地に住んでいて、大人になって父の給料を聞いた時に「よくあんなに教育にお金をだせたな...。」と感心したほどでした。

後から聞いた話では、母は子供に習い事(主に塾)をさせるためにパートをしていたのだとか。

これは大学まで続いて、わたしは奨学金をもらわずに大学6年間を過ごしました。

同じ状況でわたしに同じことができるかと聞かれたらできない気がします、が、母はわたしが立派に独り立ちすることを願ってたくさん無理もしてきたのだと思います。

 

 

大切なのは習慣と反復

母がいまだに「わたしのおかげよ」と良く話すのが、小学校に入学した頃の話です。

小学校に入学後、毎日17時から30分間は勉強の時間と決められていました。

学年が上がると1時間にのび、中学生になると21時から1時間になり。

高校の頃は21時になると部屋に戻り、寝るまで勉強をしていました。

最初は宿題の時間でしたが、自然と宿題+αで勉強をするようになりました。

気が付いた頃にはもう習慣になっていて

「あれ?21時過ぎてた。部屋に戻らなきゃー。」となっていたのです。

幼い頃からの習慣ですから苦痛に感じないんですよね。

 

もう一つ「お母さん頑張ったのよ」と言われるのが「お母さん公文式」w

足し算を習っている頃は母がノートに20問くらい足し算の問題を準備してくれて、それを解いて母に丸つけをしてもらうのを毎日繰り返していました。

引き算の時も、掛け算の時も、割り算の時も。

毎日やっていました。

目の前で丸つけをしてもらって褒めてもらうのが嬉しかったのを覚えています。

わたしが算数が得意になったのはここがきっかけだと思っています。

 

じゃあ公文が向いていたかというとそうでもなく。

小学3年生の時に公文式に体験入学しましたが、すぐにやめてしまいました。

単調作業が苦手だったので、同じことを繰り返して競争相手がいない状況が合わなかったのです。

母がやってくれていたから、続いた理由はそこだったのだと思います。

 

 

【じゃあ仕方ないか】こどもの主張を尊重する

母は勉強のやり方や継続することを強要することはありませんでした。

「進研ゼミやってみたい」と言えばやらせてくれましたが、「やめたい」と言えばじゃあやめなさいとすぐにやめさせてくれました。

塾も「あの先生苦手、やめたい」と言えばやめさせてくれました。

わたしが長く通った塾は3つ目の塾でした。

苦痛に感じるものを無理やり続けるのはわたしには合わないと諦めていたそうです。

 

中学生くらいから、勉強中に音楽を聴くようになりました。

集中していないように思われていたようですが、

ある日わたしはこんなことを言ったそうです。

「テスト中にぼんやり考えてると、あの曲聴いてた時にこの問題といてた!って思い出すの。英単語とかも曲と一緒に出てくるんだよ。」

わたしは全く記憶にありませんが、それを聴いて母は「ながら勉強をやめなさい」と言わないようにしたと言っていました。

 

この子にはこの子のやり方がある、と認めてくれていたのです。

 

 

働き始めて

医者という職業は毎日が勉強です。

論文をひくことも多いし、分厚い本を読むことも多々あります。

専門医試験みたいなテストもあるので、机に向かって勉強する機会もありますが、いずれも苦痛に感じることはありません。

三つ子の魂百まで、というにはおおきくなってからでしたが、小学校入学のタイミングで始めても遅くはないと思います。

 

わたしは母のおかげで今の職につけたと本気で思っていますし、感謝しています。

わたしも母を参考に、自分なりの教育方針を決めようと思っています。


 

はじめましての自己紹介 ※どんどん書き足す予定

はじめまして!

女医ママEriです。

 

ここでママとして、医師として、1人の女性として・・・色々なことを発信していきたいと思っています。

基本的には何かしら誰かの役にたつことや気になったこと、気づいたことをひたすら綴っていく予定です。

子供のことだったり、病気のことだったり、仕事のことだったり、夫婦の会話だったり。

なんでもありのブログです!

 

 

プロフィール

年齢:30代の真ん中あたり

2018年に結婚。

2019年に出産。

独身時代の趣味は音楽!ライブ大好き!ロック最高!でしたが。

妊娠してからは全く。。

育休の終わりころからnizi projectにハマり、niziuを密かに応援しているおばちゃんです。

 

 

仕事

日本の南の方の田舎の病院で内科系の医師をしています。

 専門医も取得済み!

色々あって地域密着型の病院で働き始めました。

女医の働き方・・・色々ですよねー。

 

 

家族

夫と娘と3人で暮らしています。

夫は一回り近く年上!口うるさいお父さんのような人ですw

娘はおしゃべりで甘えん坊で暴れん坊の2歳。

 

 

これから

注文住宅を夢見て計画中。

働き方も模索中。

こども2人目も欲しい。

やりたいこといっぱい!